「私の中のあなた」を観ました。
映像も、音楽も、言葉も
美しかったです。
ストーリーのせいなのか、美しさのせいなのか、涙がとまりませんでした。
映像も、音楽も、言葉も
美しかったです。
ストーリーのせいなのか、美しさのせいなのか、涙がとまりませんでした。
時間軸が行ったり来たりする映画はけっこう好きです。
500日のサマーとか、エターナル・サンシャインとか。
ここに来るまで、何があったのか一つ一つ謎がとけていく感じ。
後になって、「さっき彼女があんな行動をしてたのはこういう事情があったからなのね」ってわかっていくのが面白い。
500日のサマーとか、エターナル・サンシャインとか。
ここに来るまで、何があったのか一つ一つ謎がとけていく感じ。
後になって、「さっき彼女があんな行動をしてたのはこういう事情があったからなのね」ってわかっていくのが面白い。
人は、何かに夢中になっているとき、何かに向かってまっしぐらに走っているとき
無意識のうちに「自分はこうでなければならない」という自分に対するイメージに縛られているのかもしれない。
映画の中で、母親のサラは「最後まで病気をあきらめない母親」に必死になろうとしていました。
彼女自身はそれが一番だと思っているけど、そこしか見えていないあまり、本当に大切なことがわからなくなっていたり、娘の本音に気づいていなかったり。
それって、ちょっと怖いなって思った。
病気になって、苦しい治療を受け続ける子供をもつ親って、きっと「この子がこんな苦しい思いをするくらいなら自分が変わってあげたい」って思うと思うんです。
きっとサラもそう思っていて、それで実際に娘のケイトを救うにはドナーとしての妹(=アナ)をつくる必要があった。
サラはケイトを思いやって、遺伝子操作して、ケイトのドナーのための娘、アナを生んだ。
けれどアナは姉を救うためには自己犠牲しなければならなくて。
そしてケイトにとって、妹から臓器移植してまで生きることが一番の選択肢なのか。
むずかしいね。
無意識のうちに「自分はこうでなければならない」という自分に対するイメージに縛られているのかもしれない。
映画の中で、母親のサラは「最後まで病気をあきらめない母親」に必死になろうとしていました。
彼女自身はそれが一番だと思っているけど、そこしか見えていないあまり、本当に大切なことがわからなくなっていたり、娘の本音に気づいていなかったり。
それって、ちょっと怖いなって思った。
病気になって、苦しい治療を受け続ける子供をもつ親って、きっと「この子がこんな苦しい思いをするくらいなら自分が変わってあげたい」って思うと思うんです。
きっとサラもそう思っていて、それで実際に娘のケイトを救うにはドナーとしての妹(=アナ)をつくる必要があった。
サラはケイトを思いやって、遺伝子操作して、ケイトのドナーのための娘、アナを生んだ。
けれどアナは姉を救うためには自己犠牲しなければならなくて。
そしてケイトにとって、妹から臓器移植してまで生きることが一番の選択肢なのか。
むずかしいね。
もし、自分が余命わずかな病気にかかった当事者だったら、どんな気持ちなんだろう。
身体的にものすごい苦しい治療を受けて、それでも治る見込みがないんだったら、生きるのを
あきらめて楽になりたいと思うのかな。
本当は、もう楽になりたい、死んで自由になりたいと思っているのに、「頑張れ。あきらめるな。」って応援してくれる周りの人に気兼ねして、頑張って生きようとしているふりをしなければならないかもしれない。
当事者の気持ちなんて、実際に自分が当事者になってみない限り完全に理解することなんてできないんだろうな。
この映画は、白血病の姉のドナーとして生まれた妹が、親を訴えるっていうのが大事なところかと思って観たら全然そんなことなくて、言葉にしてしまうと陳腐だけど、一番は家族愛なんだと思います。
悲しいけど、とっても美しい映画でした。
たくさん泣いて、最後には心が洗われている感じ。
よかったら観てみてください。