「最強のふたり」を見てきました。
映画として、ふつーに面白かった!
あんまり「この映画早くみたい!」って思ってその映画を目的として映画館に出向くことないんだけど(基本DVDみる)、この映画はTVで予告編見てからすんごく見たくなって、それでいて私の期待を裏切らなかった。
映画として、ふつーに面白かった!
あんまり「この映画早くみたい!」って思ってその映画を目的として映画館に出向くことないんだけど(基本DVDみる)、この映画はTVで予告編見てからすんごく見たくなって、それでいて私の期待を裏切らなかった。
ストーリーは、スラム出身の黒人青年ドリスが全身麻痺の大富豪フィリップのヘルパーをやることになって…というところからはじまります(詳しくはこちらを http://saikyo-2.gaga.ne.jp/story/ )
全身麻痺っていう重い題材を用いているけど、悲壮感はあんまりなくて、クスッと笑えるコメディ要素がたくさんあって。
とある機会があって、障がい者の就労支援の現場を見学したことがあるんだけど、
そのときに思ったのは
「”障がい”って言葉は限界があるなぁ」ってこと。
もちろん、そこは働くことを前提としているから、重度の障がい者の人はいなかったんだけど、傍から見たら障がい者だってまったくわからない人もいて。
たとえば、発達障がいの人で、コミュニケーションとるのは苦手だけど暗記する能力はものすごい人っていて。そういうのって本当に”障がい”って言葉で表すのが一番いいのかな?むしろ、”個性”の方が近い気がしちゃう。
”障がい”にも色々種類とか程度の違いとかあるのに、”障がい者”って言葉で一括りにすることに、なんだか抵抗を感じた。
逆に「障がい者」って言葉があることがプラスに作用することもあると思う。
ちょっと不思議な行動をとる人がいて、「ん?どうしてこんな変なことしてるんだろ?」とか「ちょっとこわいなぁ」って思っちゃったりする。でも、その人が発達障がいがあるって知ったらその人の行動を納得して(?)受け入れられたりする。
でも、「障がい者」ってだけで、その人に対する態度を変えたりするのは相手がどう思うか考えて慎重にした方がいいのかも。
映画の中で印象的だったのが、
全身麻痺のフィリップが、親しい友人から「どうしてあんな危険なやつを側においとくんだ。何されるかわからないからヘルパーにするのはやめておけ」みたいなことを忠告されて
「彼は私に対して同情しない。対等な態度で接する」というようなことを言っていたとき。
障がい者の人って、自分が障がいもってるからって、人に優しくされたいなんてきっと思ってないのかも。逆に、それが馬鹿にされてるように感じたりするもかもしれない(あくまで私の予想です)。
変に優しくされるより、健常者の人と同じ扱いされた方が本人も嬉しいんじゃないかな。
映画の中で、価値観や育った環境、文化も全く違う2人だけど、お互いを馬鹿にしたりせず、それぞれの知ってる面白いことや人生の楽しみ方を相手に教えてあげるの。ドリスは、日本人がもってるヘルパーのイメージとは全くちがって、すんごくファンキー。
わたしは社会福祉に対してあまり知識はないけど、世の中にある社会福祉のイメーイには「かっこいい」とかってまだあんまりないと思う。私の周りには社会福祉に関心ある人ってそんなにいないし、その道に進む人には「へぇ、すごいねぇ」と思ってるんじゃないかな?
でも、障がい者とか介護のことって社会の中で絶対に(とくに介護はほとんどの人がいずれ向き合わなければならない問題だし)なんとかしなきゃいけないことだし(例えば障がい者がもっと生きやすい社会にする・介護士が足りないことなど)、解決することが必要なのに世間的には楽しいイメージがない分野だからこそ、この映画みたいにファンキーな感じになっていいと思う。
ドリスみたいにファンキーな介護士が増えたらもっともっと介護って楽しくなるし、ファンキーな人こそそういう分野にいたらいいと思うし、そういう分野にいく人はもっとファンキーな感じになっていいんじゃないかな。
そんな感じで知識もないけど好き勝手書いてみました。
あーもっかい見たいな〜
全身麻痺っていう重い題材を用いているけど、悲壮感はあんまりなくて、クスッと笑えるコメディ要素がたくさんあって。
とある機会があって、障がい者の就労支援の現場を見学したことがあるんだけど、
そのときに思ったのは
「”障がい”って言葉は限界があるなぁ」ってこと。
もちろん、そこは働くことを前提としているから、重度の障がい者の人はいなかったんだけど、傍から見たら障がい者だってまったくわからない人もいて。
たとえば、発達障がいの人で、コミュニケーションとるのは苦手だけど暗記する能力はものすごい人っていて。そういうのって本当に”障がい”って言葉で表すのが一番いいのかな?むしろ、”個性”の方が近い気がしちゃう。
”障がい”にも色々種類とか程度の違いとかあるのに、”障がい者”って言葉で一括りにすることに、なんだか抵抗を感じた。
逆に「障がい者」って言葉があることがプラスに作用することもあると思う。
ちょっと不思議な行動をとる人がいて、「ん?どうしてこんな変なことしてるんだろ?」とか「ちょっとこわいなぁ」って思っちゃったりする。でも、その人が発達障がいがあるって知ったらその人の行動を納得して(?)受け入れられたりする。
でも、「障がい者」ってだけで、その人に対する態度を変えたりするのは相手がどう思うか考えて慎重にした方がいいのかも。
映画の中で印象的だったのが、
全身麻痺のフィリップが、親しい友人から「どうしてあんな危険なやつを側においとくんだ。何されるかわからないからヘルパーにするのはやめておけ」みたいなことを忠告されて
「彼は私に対して同情しない。対等な態度で接する」というようなことを言っていたとき。
障がい者の人って、自分が障がいもってるからって、人に優しくされたいなんてきっと思ってないのかも。逆に、それが馬鹿にされてるように感じたりするもかもしれない(あくまで私の予想です)。
変に優しくされるより、健常者の人と同じ扱いされた方が本人も嬉しいんじゃないかな。
映画の中で、価値観や育った環境、文化も全く違う2人だけど、お互いを馬鹿にしたりせず、それぞれの知ってる面白いことや人生の楽しみ方を相手に教えてあげるの。ドリスは、日本人がもってるヘルパーのイメージとは全くちがって、すんごくファンキー。
わたしは社会福祉に対してあまり知識はないけど、世の中にある社会福祉のイメーイには「かっこいい」とかってまだあんまりないと思う。私の周りには社会福祉に関心ある人ってそんなにいないし、その道に進む人には「へぇ、すごいねぇ」と思ってるんじゃないかな?
でも、障がい者とか介護のことって社会の中で絶対に(とくに介護はほとんどの人がいずれ向き合わなければならない問題だし)なんとかしなきゃいけないことだし(例えば障がい者がもっと生きやすい社会にする・介護士が足りないことなど)、解決することが必要なのに世間的には楽しいイメージがない分野だからこそ、この映画みたいにファンキーな感じになっていいと思う。
ドリスみたいにファンキーな介護士が増えたらもっともっと介護って楽しくなるし、ファンキーな人こそそういう分野にいたらいいと思うし、そういう分野にいく人はもっとファンキーな感じになっていいんじゃないかな。
そんな感じで知識もないけど好き勝手書いてみました。
あーもっかい見たいな〜