今日、とっても好きな「P.S.アイラヴユー」という映画をみて、
その中に「なにかを創造しなければ、人生は平凡なものになってしまう」という言葉があって、
ちょぴりインスパイアーされた。
社会人というものになって半年が経ち、
どうも自分と同じくらいの年齢の人で、社会人になって1年前後の人に
今の生活に対してくすぶっている人が多いと感じている。
(そして自分もきっといくばくかくすぶっている部分がある)
それはもう極端に簡単にいってしまえば
仕事が自分のやりたいことかどうか
自分が理想と思っている人生に近づいているのかどうか
みたいな話。
35歳までに働き方に関する本を書くことが一つの目標である私は
それについてまたふにゃふにゃと考え、
まだ考えがまとまらない頭のまんまだけどとりあえず言葉にしてみた。
その中に「なにかを創造しなければ、人生は平凡なものになってしまう」という言葉があって、
ちょぴりインスパイアーされた。
社会人というものになって半年が経ち、
どうも自分と同じくらいの年齢の人で、社会人になって1年前後の人に
今の生活に対してくすぶっている人が多いと感じている。
(そして自分もきっといくばくかくすぶっている部分がある)
それはもう極端に簡単にいってしまえば
仕事が自分のやりたいことかどうか
自分が理想と思っている人生に近づいているのかどうか
みたいな話。
35歳までに働き方に関する本を書くことが一つの目標である私は
それについてまたふにゃふにゃと考え、
まだ考えがまとまらない頭のまんまだけどとりあえず言葉にしてみた。
「ありのままの自分でいられるか」
「自分のやっていることを楽しい、かつささやかに世界に貢献していると思えるか」
「自分が染まりたいと思う環境にいるか」
この3つの項目が全て◎だとしたら、
それはかなり最高に近い状態だと思う。
自分で起業したり組織をつくらない限りは、
「会社」という組織において自分のありのままの状態でいることはなかなか難しいことだと思う。
会社という組織は、少なからずとも
その中にいる人間を、その組織のやり方・文化に染めていく性質があると思う。
(もしかしたらそのやり方・文化になじみやすい人ほど評価がされやすいかもしれない。)
「自分のやっていることを楽しい、かつささやかに世界に貢献していると思えるか」
「自分が染まりたいと思う環境にいるか」
この3つの項目が全て◎だとしたら、
それはかなり最高に近い状態だと思う。
自分で起業したり組織をつくらない限りは、
「会社」という組織において自分のありのままの状態でいることはなかなか難しいことだと思う。
会社という組織は、少なからずとも
その中にいる人間を、その組織のやり方・文化に染めていく性質があると思う。
(もしかしたらそのやり方・文化になじみやすい人ほど評価がされやすいかもしれない。)
左側が、なんの制約もないときにいる自分の状態だとしたら、
会社という組織には、その人間の、組織にそぐわない部分をそり落とすところがあるように感じる。(あ、一般論としてだよ)
それによって違和感を感じると、それはそれで悩むのだけど、
もっと年次があがって違和感を感じなくなったときが怖い。
会社という筒を外しても、「自分らしさ」は残っているのだろうか。
だからこそ、自分が染まりたいと思える環境にいることがすごく大事だと思う。
会社という組織には、その人間の、組織にそぐわない部分をそり落とすところがあるように感じる。(あ、一般論としてだよ)
それによって違和感を感じると、それはそれで悩むのだけど、
もっと年次があがって違和感を感じなくなったときが怖い。
会社という筒を外しても、「自分らしさ」は残っているのだろうか。
だからこそ、自分が染まりたいと思える環境にいることがすごく大事だと思う。
自分の大切な時間とパワーを、自分の愛する仕事に注ぎながら
自分がやりたいと思うことをすべてやることのできる経済力を持つにはどうしたらいいんだろう。
例えば。
お金の心配とか何もなく、自由に好きなことを何でもしていいと言われたら、
あなたは自分の時間を何をすることに費やすだろうか?
私がそれについて考えると
映画を見たい・本が読みたい・旅行がしたい
と消費することばっかり思い浮かぶ。
でも、それをしながら
消費をする側ではなく、価値を生み出す(=つまりそれって”創造”ってことかしら)立場になれないだろうか。
例えば、
世界中を旅しながら、それを仕事にして(もしくは仕事をしながら)お金をもらう
映画をたくさん見ながら、その評論を書くことを仕事にする
本を読んで、そこから得た知見をいかして(?)自分で本を出す
自分がやりたいと思うことをすべてやることのできる経済力を持つにはどうしたらいいんだろう。
例えば。
お金の心配とか何もなく、自由に好きなことを何でもしていいと言われたら、
あなたは自分の時間を何をすることに費やすだろうか?
私がそれについて考えると
映画を見たい・本が読みたい・旅行がしたい
と消費することばっかり思い浮かぶ。
でも、それをしながら
消費をする側ではなく、価値を生み出す(=つまりそれって”創造”ってことかしら)立場になれないだろうか。
例えば、
世界中を旅しながら、それを仕事にして(もしくは仕事をしながら)お金をもらう
映画をたくさん見ながら、その評論を書くことを仕事にする
本を読んで、そこから得た知見をいかして(?)自分で本を出す
こっからは妄想の世界。
妄想するのはただだから、もう論理的かどうかなんてまったく気にせずに好きなだけ好きなこと・楽しいことを考えちゃおう。
いつか私は料理家に転身を遂げる気がする。
今のところスクランブルエッグくらいしか(それは料理とは呼ばないよ、とも言われるけれど)料理は普段しないんだけど、最近いつか料理家になる気がしてならない。
本当はこのブログの通りちゃーんと自炊をしたいのですが。。。
今すぐなりたいわけでもないし、料理が死ぬほど好きというわけでもない、
でもなんだかそういう気がするから一応言葉にしてみる。
料理とソーシャルグッドなことと、映画(主にラブコメ)について、ライターとしての仕事をする気がする。
文章を書くtalentがあるかもわかんないし、ライターの仕事というものが実際どういうものなのかもわからない。単純な憧れだけだし、それに近づく為にものすごい努力をしているわけでもない。
でもいいんです。
実現しようがしまいが気にしない、言うだけはタダです、妄想するのもタダですから。
ビジネスを動かす側っていうよりかは表現することの方を仕事にしたい。
文章?写真?自分?料理?アート?
何になるのかよくわからないけど、表現したい。
それでいて、それを仕事にしたい。
もっと右脳を使いたい。
そんなこんなで、
働くことってなんだろう
幸せってなんだろう
自分らしさってなんだろう
こういうことを今日もぐるぐると考えながら
夜には理想の自分を妄想しながら眠りに落ちるのです。
おやすみなさい。
妄想するのはただだから、もう論理的かどうかなんてまったく気にせずに好きなだけ好きなこと・楽しいことを考えちゃおう。
いつか私は料理家に転身を遂げる気がする。
今のところスクランブルエッグくらいしか(それは料理とは呼ばないよ、とも言われるけれど)料理は普段しないんだけど、最近いつか料理家になる気がしてならない。
本当はこのブログの通りちゃーんと自炊をしたいのですが。。。
今すぐなりたいわけでもないし、料理が死ぬほど好きというわけでもない、
でもなんだかそういう気がするから一応言葉にしてみる。
料理とソーシャルグッドなことと、映画(主にラブコメ)について、ライターとしての仕事をする気がする。
文章を書くtalentがあるかもわかんないし、ライターの仕事というものが実際どういうものなのかもわからない。単純な憧れだけだし、それに近づく為にものすごい努力をしているわけでもない。
でもいいんです。
実現しようがしまいが気にしない、言うだけはタダです、妄想するのもタダですから。
ビジネスを動かす側っていうよりかは表現することの方を仕事にしたい。
文章?写真?自分?料理?アート?
何になるのかよくわからないけど、表現したい。
それでいて、それを仕事にしたい。
もっと右脳を使いたい。
そんなこんなで、
働くことってなんだろう
幸せってなんだろう
自分らしさってなんだろう
こういうことを今日もぐるぐると考えながら
夜には理想の自分を妄想しながら眠りに落ちるのです。
おやすみなさい。